日本的“中国地方”为什么取名为“中国”?

日本列島は、北海道地方、関東地方、関西地方、九州地方など、複数の地域にわけられていますが、その中に「中国地方」という地域があります。
日本列岛分为北海道、关东、关西、九州等多个地区

日本列島は、北海道地方、関東地方、関西地方、九州地方など、複数の地域にわけられていますが、その中に「中国地方」という地域があります。

日本列岛分为北海道、关东、关西、九州等多个地区,其中就有一个叫做“中国地方”的地区。

「中国」と聞くと「中華人民共和国」をイメージしてしまう人も少なくないと思うのですが、なぜ「中国」なのでしょう?

很多人一听到“中国”,就会联想到“中华人民共和国”,那么为什么会取名为“中国”呢?

今回は「中国地方」について調べてみました。

这次,小编就为大家介绍一下有关日本的“中国地方”。

中国地方とは?

中国地方是指?

中国地方(ちゅうごくちほう)は、本州の西部に位置する地域で、山口県(山口市)、岡山県(岡山市)、鳥取県(鳥取市)、島根県(松江市)、広島県(広島市)の5県で構成されています。

中国地方是指位于本州西部的地区,由山口县(山口市)、冈山县(冈山市)、鸟取县(鸟取市)、岛根县(松江市)、广岛县(广岛市)5个县组成。

※カッコ内は県庁所在地

※括号内为县政府所在地

中国地方はなぜ中国?由来と意味とは?

为什么“中国地方”取名为“中国”?其由来和意义是什么?

中国地方がなぜ「中国」と呼ばれるようになったのか、由来や意味は定かではなく諸説あります。

为什么中国地方会被称为“中国”呢?其由来和意义没有统一的说法,众说纷纭。

1.中間の国という意味から「中国」になったという説

1.“中国”意味着日本中部的地区

奈良時代(710年~794年)に、都(現在の京都)からの距離によって日本各地の呼び方があり、そこから「中国地方」になったという説が有力です。

在奈良时代(710年~ 794年),根据与都城(现在的京都)的距离远近,日本各地区都有不同的叫法,“中国地方”由此而来的说法也相较有说服力。

江戸時代(1603年~1868年)まで、日本は律令制(りつりょうせい)に基づいて「五畿七道(ごきしちどう)」に分かれていました。

江户时代(1603年~1868年),日本根据律令制将全国分为“五畿七道”。

律令制の律は刑罰、令は政治経済などの一般行政に関する規定で、律令制とは、律と令を基本法とする中央集権制度のことを言います。

律令制中的律是刑罚,令是有关政治经济等一般行政的规定,所谓律令制,是指以律令为基本法的中央集权制度。

五畿七道の「五畿」は「畿内(きない)」ともいい、江戸時代までの都だった京都周辺の5つの地域のことです。

五畿七道的“五畿”也叫“畿内”,是指京都(到江户时代为止的都城)周边的五个地区。

●山城の国(やましろのくに・現在の京都府南部)

●山城国(今京都府南部)

●大和の国(やまとのくに・現在の奈良県)

●大和国(今奈良县)

●和泉の国(いずみのくに・現在の大阪府南西部)

●和泉国(今大阪府西南部)

●河内の国(かわちのくに・現在の大阪府南東部)

●河内国(今大阪府东南部)

●摂津の国(せっつのくに・現在の大阪府北中部および兵庫県南東部)

●摄津国(今大阪府北中部及兵库县东南部)

七道は、五畿以外の「東海道」「東山道」「北陸道」「山陰道」「山陽道」「南海道」「西海道」の7つの地域を指しています。

七道是指除五畿以外的“东海道”、“东山路”、“北陆道”、“山阴道”、“山阳道”、“南海道”、“西海道”7个地区。

七道は都から伸びる街道の名前にも使われており、それぞれの「道」には多くの「国」がありました。

七道也被用来命名从都城延伸出来的主要官道,而各个“道”又设有若干个“国”。

例えば「北陸道」には「若狭の国(わかさのくに・現在の福井県南部)」「越前の国(えちぜんのくに・現在の福井県北部)」「加賀の国(かがのくに・現在の石川県南部)」などがあります。

例如,“北陆道”有“若狭国(今福井县南部)”、“越前国(今福井县北部)”、“加贺国(今石川县南部)”等。

畿内に近い地域を「近国(きんごく)」と呼び、遠い地域である現在の九州地方や東北地方、北陸地方などを「遠国(おんごく)」と呼びました。

畿内附近的地区被称为“近国”,而较远一点的地区,比如现在的九州地区、东北地区、北陆地区等被称为“远国”。

そして、都と遠国の中間にある国を「中国(ちゅうごく)」と呼んだのです。

然后,把位于都城和远国中间的地区称为“中国”。

「中国」は現在の静岡県や山梨県、長野県、富山県、石川県、福井県の一部、岐阜県の一部、香川県、徳島県、島根県の一部、広島県の一部などだったそうです。

(较早一点的说法)“中国”是指现在的静冈县、山梨县、长野县、富山县、石川县、福井县的部分地区、岐阜县的部分地区、香川县、德岛县、岛根县的部分地区、广岛县的部分地区等。

都と遠国の中間ということなので、西日本だけでなく東日本に「中国」があるのも当然ですが、明治時代(1868年~1912年)になってから西日本だけ「中国」という呼び方が残ったといわれています。

因为是位于都城和远国的中间,所以不仅是西日本,东日本当然也有所谓的“中国”,但是到了明治时代(1868年~1912年),只有西日本保留了“中国”这个叫法。

2.中国路が由来という説

2.中国路的由来之说

奈良時代から平安時代(794年~1185年ごろ)にかけて、太宰府(現在の福岡県)は東アジアとの貿易の拠点となっており、都と太宰府を結ぶ山陰道や山陽道は多くの人が行き交っていました。

从奈良时代到平安时代(794年~1185年左右),太宰府(今福冈县)都是日本与东亚贸易的据点,因此连接都城和太宰府的山阴道和山阳道贸易繁盛,人来人往。

山陰道や山陽道は、都と太宰府の間にある中国を通ることから「中国路(ちゅうごくじ)」と呼ばれていたようです。

又因为山阴道和山阳道经过都城与太宰府之间的中国,所以被称为“中国路”。

そしては江戸時代になると、「中国路」は「山陽道」の別名として使われるようになりました。

到了江户时代,“中国路”变成了“山阳道”的别称。

江戸時代の中国路は現在の京都や大阪から、山口県下関や福岡県門司区を結ぶ街道で、現在の「中国地方」である山口県、岡山県、鳥取県、島根県、広島県のすべてを通るわけではありませんが、「中国」という言葉が残り、その地方を「中国地方」と呼ぶようになったという説があります。

江户时代的中国路是从现在的京都和大阪为起点,连接山口县下关市和福冈县门司区的街道,虽然不是经过现在的“中国地方”(山口县、冈山县、鸟取县、岛根县、广岛县),但却保留了“中国”这一词,所以也有把该地区称为“中国地方”这样的说法。

なぜ中国というのか定かではありませんが、都からの距離が関係していたようですね。

虽然不能明确地知道为什么会取名为中国,但似乎都与距离都城的远近有关。

「中国」と聞くと「中華人民共和国」をイメージしてしまう人もいらっしゃいますが、中華人民共和国は1949年に建国されていますので、日本の中国地方のほうがはるか以前から使われていたことになります。

尽管有些人一听到“中国”就会联想到“中华人民共和国”,但中华人民共和国是在1949年才建国的,而日本的“中国地方”在很早以前就已经出现了。

なぜ中国地方と呼ばれるようになったのかを知ると、山口県、岡山県、鳥取県、島根県、広島県をイメージしやすくなりますね。

如果你了解了为什么会称其为中国地方的话,也许就会很容易联想到山口县、冈山县、鸟取县、岛根县、广岛县了吧!

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